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2014年を振り返る②
新年あけましておめでとうございます。

2014年を振り返る①と書いておきながら、すっかり新年を迎えてしまいました。
年末はぎりぎりまで仕事で忙しく、遅れていた年賀状を書き、掃除をしているうちに終わってしまいました。
いまさらですが、それでもいいやと続きの②をアップです。



2014年5月、母の弟にあたる叔父が亡くなりました。
叔父は糖尿病を患っていましたが、晩年は脳梗塞により半身不随となり、病床生活を送っていましたが、長いこと生きられなかったようです。
息を引き取った場所は北京郊外。
看取った中国人から連絡があり、初めて知りました。
その中国人は、叔父の年金が亡くなったあとも振り込まれてくるので、停止して欲しいと頼んでもきました。





叔父は小さなデザイン事務所をやっていました。
ちょうど脂の乗った年齢に日本はバブルを迎え、叔父も他のデザイナー同様に寝る間も惜しんでガンガン仕事をした結果、高級マンションを購入して下町の借家住まいだった両親を引き取りました。

お得意様だった会社の社長に好かれ、車で愛人宅へ送り迎えをして社長のアリバイ作りに協力するなど、まるで漫画のようなことをやっていたと後で母から聞きました。

バブル絶頂期に雇った若い秘書に浮気をし、貧乏時代から支えてきた妻に逢引しているところを強襲されて、慰謝料はらって離婚して若い秘書と再婚した騒動も、当時学生だった私の耳に届きました。

しかし、バブルの崩壊と同時にお得意様だった会社の社長が亡くなり、残った奥方から愛人との密会を手助けしていたことで報復を受けてしまい、仕事を喪失。
バブル期に増やした従業員を解雇して、若い妻と二人の規模に立ち返ってやり直そうとした矢先、金の縁はなんとやら、若い妻に慰謝料を請求され二度目の離婚。

事務所を畳み借金取りに追われて、うちにも電話がかかってきたのを覚えています。
いつ黒服の怖いお兄さんが家にやってくるかと心配していましたが、叔父の居場所の確認の電話だけでした。
一方、マンションに置き去りにされたお祖父ちゃんお祖母ちゃんは、母が引き取り家で同居することになりました。
酷い叔父です。



2000年、叔父は上海にいると連絡がありました。
叔父は中国語が話せたようで、中国進出をする日本の会社と現地のデザイン会社との間にたって、ビジネスの仲介をする仕事をしていました。

中国人の若い女性と付き合っていると母が知り、まだ懲りないのかと怒っていたのを聞いて、正直叔父はパワフルだなぁと感心したのを覚えています。
同じ業種で働いていて、私と叔父を比べて足りない部分はまさにこのパワフルさだと痛感します。
借金取りに見つかるため日本に帰れないまま上海で働いていたそうですが、手紙はよく届きました。

やがてバブル時代の接待・豪遊・徹夜の無理な生活が身体に出てきて糖尿病を患い、杖をつくようになった叔父は仕事を辞めて上海郊外で年金・闘病生活に入りました。

しかし、中国の発展と同時に上海の土地が値上がりし、日本の年金では暮らせなくなったため今度は北京へ引っ越し。
そこは上海の仕事が縁で知り合った、日本語がしゃべれる中国人の家主の共同住宅(団地?)で、日本語のしゃべれる家政婦兼看護婦の訪問介護サービスを受けていたそうです。



民主党政権時代、祖母が亡くなる数日前に帰国したとき、色々と北京の生活を話してくれました。
同じ共同住宅に暮らしている若者と年寄りは、日本人だと分かっても優しく接してくれるが、30~50代は罵声を浴びせてきたり唾を吐いたりなど露骨な反日態度をとってくること。

中国人のドライバーの腕は酷く、片道四車線の八車線道路でも反対車線側の脇道へ入るためには、信号機がなくとも平気で反対車線に突っ込んでいくそうです。
もちろん突っ込むほうがクラクションを鳴らして、どけどけ~道をあけろって感じで四車線を斜めに横切っていくそうです。

特に女性ドライバーのマナーが最悪で、上記のようなことを一番乱暴に振舞うのが女性ドライバーだと、現地の中国人も口を揃えて言っているそうです。

息子のお見舞いを受けた祖母は叔父が帰ったあと数日後に息を引き取りました。
安心したんでしょう。
叔父も今の円高が続く限り年金では交通費を捻出できないから、これが最後の帰国だと言って帰っていきました。

それが生前叔父と会った最後になりましたが、2014年2月、明け方に見た夢の中で唐突に叔父が出てきて、おぅこっちに座って一杯のもうやと言ってきたのを覚えています。

私にとってはこれが最後かな


とにかくも、バブルのど真ん中を駆け抜けていった叔父でした。
栄華と逆境、どん底と再興、そして晩年の過ごし方と終わり方をみせてくれた方でした。

果たして私はどんな土地でどんな終わり方を迎えるのでしょうかね
そろそろ考えなければいけない年齢なのかもしれません
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